京都・ヨガのある暮らし ーCalm Oneself Yoga-

Calm Oneself  自分自身が穏やかになること。 そんな思いで、京都・宇治・城陽でいろんなヨガ教室を主宰しています。 自分に気づくヨガとの出会い。 ヨガは生きることそのものです。 そして、 我が家の猫たちが、一番の私のヨガの師匠。  猫の話も少しだけ。
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彼岸の日に。

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小池龍之介さんの著書。

初めて彼の著書を読んだとき、その語りの独特さと冷静さ。
そして、わかりやすさや共感等で、立て続けに著書が出る度に読んでいました。

ちょっと食傷気味になり、しばらく読んでいませんでしが、久しぶりに読んでみると、やはり興味深い内容でした。


今日はお彼岸の中日。

「生」と「死」を考える日と思っています。

ヨガと仏教は切り離せないところがあります。

その根本的な教え、考え方に。


しかしながら、これは決して、ヨガや仏教、宗教によるところではなく、よくよく考えてみれば、当たり前のことではないかといつも行きつくのです。

修業・勉強

それは、大切なことで、必要なことかと思いますが、
よくよく考えてみれば、行きつく当たり前のことを知り、実行することが実は相当難しいということではないかと思うのです。

それで、修業の道や厭世ということになるのでしょうか。。。


生きていくということを考えてみれば、実生活に即していなければ意味がないように思うのです。

毎日の暮らしを大切にすることでしか、ヨガの教えも活かせません。


「こだわり」

ほんとに自分がこれでいいと思えたら、おそらく「こだわり」は無くなるのでしょう。
そうなれば、他人を批判・否定することもなくなるのでしょうか。。。

ほとんどのことは、どうでもいいことなのかもしれません。
いい意味で。

とにかく、

~死ぬまで、生きる~

ただ、それだけです。


合掌


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「禅定」とヨガ

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秋雨前線だとか。
しばらくは、雨の日が続きそうです。

雨の日は気持ちが静かになるところが好きです。

気持ちが静かになると言えば、「禅定」という言葉を想います。
とても好きな言葉です。

仏教の言葉ですが、ヨガにも出てきます。

サンスクリット語では「ディアーナ」
バーリ語では「ジャーナ」
漢字よみでは「禅那」

ざっくりと、「瞑想」のことを指すのでしょうか。。。

心を静めて一つの対象に集中する。
心が動揺することがなくなった一定の状態。

こんな風に理解していたのですが、「禅定」は、反省の意味もあるという記載を読みました。

なるほど。。。

心を静かにしてこそ、自分自身を顧みることができるのでしょう。
後悔はほぼありませんが、反省することはたくさんあります。
間違いは誰でも必ずありますが、できることなら、繰り返さないために。

自分以外の人の言動を、どうこういうことはできません。

意見を求められたら、答えられることは述べることはできるのかもしれません。

だけど、ついついできることなら、自分以外の人も幸せになってほしかったり、うまくいけばいいなと思ったりして、いらぬことまで話しているかもしれません。

他人の悪口は言うのは自分が疲れます。
悪口じゃなくても、マイナス面に目を向けるのも、やっぱりどよ~ンと心が暗くなります。
そんな会話は嫌だなあと思います。

自分はどうか。。。

わからないことは黙るしかないのかもしれません。

「禅定」

大好きな言葉ですが、この境地にたどり着くことは至難の業です。
だからこそ、そこを目指すのでしょうか。

雨の日は、そんなことに、思いを馳せます。

合掌






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声明


先日の「空海記念統合医療病院」設立に向けた記念講演で、真言宗の僧侶による声明を聞かせていただいた。

デジタル大辞泉の解説
しょう‐みょう〔シヤウミヤウ〕【声明】

《〈梵〉śabda-vidyāの訳》
1 古代インドの五明(ごみょう)の一。文字・音韻・語法などを研究する学問。
2 仏教の経文を朗唱する声楽の総称。インドに起こり、中国を経て日本に伝来した。法要儀式に応じて種々の別を生じ、また宗派によってその歌唱法が相違するが、天台声明と真言声明とがその母体となっている。声明の曲節は平曲・謡曲・浄瑠璃・浪花節(なにわぶし)・民謡などに大きな影響を与えた。梵唄(ぼんばい)。

難しいことは、わからない。

声明を聴くと、とても気持ちが落ち着くことがわかる。

なんといっても常にお経を唱えている僧侶の声の響き、音、質。
それがとてつもなく、素晴らしい。

声はほんとに大切だと思う。


ヨガのマントラを唱えること。

音楽の節をつけて唱えるということでは、原点は同じなのかと思う。


私は長年ヨガをしてきて、マントラも教えを受けたが、
なんというか、あろうことか、もしかして、言うのもはばかれるが、

マントラの唱和には、なかなか違和感がぬぐえない。
なぜなのか、自分でもよくわからない。
嘘はつけないので、大好きだなんて、とても言えない。

にもかかわらず、
声明はとても落ち着くし、もちろん全く違和感がない。

DNA的なことだろうか。。。

声明は、好きなのだ。

それで、今までも声明を聴きに行くことさえある。

声明が医療に何かしら効果があるとしたら、本当に素晴らしいと思う。


大きな大きな波というか、おそらく波動なのだろう。
包まれ、心が開いていくのに、静かになる。
そんな感覚だ。

マントラもそんな風にとらえてみたいと思う。



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「老師と少年」

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偶然というか、必然というか、素敵な出会いのヨガインストラクターのKさんのブログから知った本です。

表紙を見ただけで、
「あぁ、読みたい本だ・。」とわかりました。

禅僧が書かれた禅問答のような内容。

少年は、
ぼくはいつか死ぬ。たったひとりで。
なのに、大人は平気で生きろと言う。
と悩む。

本当に知りたいことを質問しても大人は誰も答えてくれない。

老師は言う。

「生きることが尊いのではない。生きることを引き受けるのが尊いのだ。」

私も幼いころから、ときどき、いや、よく、
日常生活と何の関係もない、いろんなことに疑問を感じ、一人で考えたりしました。

それは、大人になり、もしかしたら、「哲学」ということなのかと気が付いたのですが。
相当遅かった。
わかっていたら、大学は哲学科にいっただろうと思います。

そして、もしかしたら、「仏教」か?

とも思ったりもしました。

そして、ヨガに出会い、今も続けているのです。

学生の頃から、20代も30代も、バブルに乗って、ちゃらちゃらしたり、贅沢したり、きれいになることだけを謳歌しているようでありながら、心の中心は、いつもそんな何かを考えずにはいられない。

この本は思っていたより、難解でした。

きっと、何回も読むことになると思います。




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どんな種を蒔いているのだろう。。。

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シルバー・ウィークも終わり、お彼岸も終わりました。

いいお天気も終わり、雨の朝、日常が戻ってきました。

私は仏教が好きです。

難しいことはわかりませんが、少しは勉強しています。

色んな本も読みます。

案外、すぅ~と違和感なく入ります。

この違和感がないというのが、とてもとても大切です。


仏教にもいろいろあるのでしょうが、浄土真宗は身近な感じで、緩い感じもあり、親鸞聖人の大胆さも好きです。

禅宗は厳しい感じがしますが、背筋が伸び、気持ちが洗われるようで、好きです。

仏教、禅宗、密教のルーツは、ヨガではないかと思うのですが、それは違うと言われる僧侶もいらっしゃると思うので、明言できません。
私はそんな風に感じますといつも言っています。

お釈迦様。

どんな人なのか。


この本は、とてもわかりやすく、日常に仏教を落とし込んで書かれているのでいいなあと思います。

本当に賢い人は、難しいことを簡単な言葉で教えてくださるのが常です。

生きる意味。

死ぬこと。

因果応報。

自業自得。

色んなことがわかります。

わからないことだらけだけど、ひも解くように少ずつわかることが生きるということなのかなあと思います。

そして、知れば知るほど、自分がなんてしらない、わからないことだらけなんだろうということがわかります。

全ては自分。

そのことだけは、なぜかわかっているのです。

合掌



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